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女化

  • 2009年4月12日(日) 00:00 JST
  • 投稿者:
    turbo
■■■■■2009.04.12(日)  晴れ 女化

高松求
 我が家のブルーベリーの第2園のある場所は、もともと茶畑であった。今はそのお茶もなくなってしまい、加工した茶葉が残るだけである。この茶園は、曾祖父の明治時代から植えてあったもので、曾祖父の代は自宅に焙炉場があったが、祖父の代は印西に、母の代は女化に、私の代は富里に委託加工をお願いしていたのである。女化と書いて「おなばけ」と読むが今は牛久市になっている。もともとは女化町であった。この神社のすぐ側にある澤田さんというお茶屋さんに母の代はお世話になったものである。うちから車で30分程度のところにあって便利であったが、おばあさんが腰を悪くして委託を止めてしまって、1時間かかる富里まで行くことになったわけでした。

 今日は、農業技術通信社というところが主催した集まりに女化まで出かけてきた。高松求さんという方の家にタケノコを掘りがてら話を聞きに行ったのであるが、このお宅は実は澤田さんの斜め向かい(といっても500mぐらい離れているんですが)なわけです。15名ぐらいの様々な職業の方が見えたが、私にとっては高松さんの話は何よりもわかりやすかった。というのは、「作物を育てるのは人の心である」ということをよくわかっていらっしゃる方で、そういう意味での植物(というよりは微生物か)と話せるだけの神通力というか、そういうものを持ち合わせている方だと感じましたね。いろんな動物なり植物なり微生物なりが心地よく過ごして、作物として実をしっかり付けて、なおかつ収入とする。このある意味「いただいている」という感覚は過去から受け継がれた農法そのものであって、こういうことは年寄りはよーく知っている。その部分が本来の農業技術なのであるが、こういう部分は本では伝わらないもの。高松さんの話を聞きに遠方から人が来るのも頷ける。慈愛を持つ心がそういう人を呼ぶのだと思う。平坦な山林を開墾して30年ぐらい前だったかに竹を植えたと聞きます。手入れが行き届いていて気持ちの良い園でしたが、心は配るが決して無駄な労力とカネはかけていないであろうことが伝わってきて、まあうちのやり方もそんなに間違ってはいないかなぁと感じた次第。やはり、年寄りの言うことは、ちゃんと受け止めておいて、必要に応じて自分なりに解釈して、時代の技術とともに新しい形で自分のものにしていく。どんな仕事にも共通するような基盤が農業には確かにあるものです。

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