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文華秀麗

  • 2003年10月30日(木) 00:00 JST
  • 投稿者:
    turbo
■■■■■2003.10.30(木)  晴れ 文華秀麗

 googleという検索エンジンで、「文化秀麗 FM-8」と打ってみた。1件引っかかった。そのHPはセキュリティがかかっていて見られなかったが、googleのキャッシュを通じて見てみたら、HPを作った彼は、私が高校時代に作ったワープロ(というよりは、エディタ+FEPに近い)を漢字変換に初めて使ったらしい。

 この文華秀麗というワープロは、実は今でも我が家のFM-8で動く。20年も前の作品である。掲載記事は、今でもある工学社の雑誌「I/O」に載った。当時はプログラムは雑誌から直接ユーザが打ち込むものであったが、オーディオテープでも売られていた。ビジネス用途と称して、当時としては破格の9800円で販売したのを思い出す。この名前、確か漢和辞典を隅から隅まで見ていて決めた記憶がある。当時からちゃんと商品の名前を決めていたあたりが何とも私らしい(^^;;当然ながらすべての設計書は残っていますから、これも凄いなぁと思います。

 で、気になって、いろいろと検索していて、不思議な巡り合わせに気づきました。

以下、完全に引用ですけど(出典:http://www.ne.jp/asahi/kiwameru/kyo/jiten2.htm)。
  ●河陽離宮
   現在の乙訓郡大山崎町離宮八幡宮付近にあった。嵯峨天皇の離宮。
  摂津水無瀬・河内交野への遊猟が多かった嵯峨天皇が、便利のためか、
  弘仁五年(814)それまでの宿舎としていた山崎駅を離宮としたもの。
   景勝地としても有名で、「文華秀麗集」「凌雲集」には当地の景勝を
  賞でた詩を多数収載。河陽とは川の北岸を意味し、当地が淀川の北岸に
  あたるための呼称か。
   嵯峨・淳和天皇期にはしばしば行幸もあり、離宮の任を充分果たした
  が、貞観三年(861)には相当荒廃、山崎国司が離宮名をのこしたままで
  国府とすることを奏上して許可され、長岡の地より山城国府が移転。

 これを読むと、私がなぜ京都の山崎蒸留所に行ったのかが見えてくる気もします。単なる偶然かも知れないけど、ここにある離宮八幡宮には行っているんです。それにうちの奥さんと知り合うきっかけの1つが山崎の地でしたし、現在行っている唯一のバーが「湯島」と「銀座」にある山崎。そして、編纂に関わった人の中に「野口」なにがしという人が検索すると何人か出てきたりします。京都、特に山崎の地に妙に親近感を覚えているのには理由があったんですねぇ。うーむ、考え過ぎかなぁ...。

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